Dream Dream(Fate/hollow ataraxia)

 白く吐き出される息を追って空を見上げる。
 薄墨で染めたようなどんよりと暗い空。
 街中でちらりと聞こえた街頭ラジオからは、今日はホワイトクリスマスになると言っていたっけか。
 通りの少し奥まった場所にあるベンチに腰掛けて人の流れを眺める。
 忙しく流れる人ごみは、それでもどこか浮かれた雰囲気を持っていて。
 そんな流れを、どこか遠くで見つめるというこの行為はひどく滑稽のような気がした。

 まぁ、この時期にこんな所でぼけっと座っている理由をいちいち挙げていくのもつまらない話だが。

 羽織ったジャケットのポケットに突っ込んでいた手を抜いて、ずっと握り締めていた手のひら大の小箱を見る。
 何を言われるかわかったもんじゃないが。
 文句を言われる前に押し付けてしまえばいい。

「……しかし」
 寒いなと口の中で独りごちて、またジャケットのポケットに手を突っ込む。
 動けば少しは違うのかもしれないが、今ここを離れてすれ違いになったら元も子もない。
 どこに居るのか分かっていないわけではないが、だからと言って自分から出向くのは何故か憚られた。
 気恥ずかしいわけじゃない。
 面倒なわけでもない。
 今ここで大切なのは、わざとらしくても『偶然』を装う事だ。
 そのくらいでもしないと、ヤツはきっと最後までだんまりを決め込むに違いない。
「……全く、甘いな、オレも」
 零れた自嘲的な笑みは、けれどどこかこの状況を楽しんでいる自分に向けての励ましのようにも思えて。
 たまには、待ちぼうけも悪くないもんだ。

 暗い空を仰ぐ。
 薄暗い空は、今にも泣き出しそうだった。

   □ □ □ □ □

 その後ろ姿はとても静かに思えて、立ち去ろうとした足を止めてしまった。

 何をしているのか――――多分待ち人、だろう。
 では誰を待っているのか――――それを知って、私はどうするつもりなのか。
 
 もう何回繰り返したのかわからない自問にお決まりの答えを返す。
 そうして、溜息。
 偶然にも見つけてしまったのは幸か不幸か。
 けれど声を掛けようとは思わなかった。
 ……いや、声を掛けれなかった。
 どうして、なんて理由を挙げるのも、自分が情けなくなる。
 何度目かの、小さい溜息。
 張り付いたような足を動かしてその場で踵を返す。

 街は楽しそうな雰囲気でもって賑わっている。
 普段は無機質な街の空気も、特別な日を祝うためかお洒落に着飾っているというのに。
 私は何一つ持ち合わせていない。
 ……似合わないもの、私には。
 派手に着飾る事も。
 この浮かれた雰囲気も。
 ……誰かと一緒に、ゆったりとした時間を過ごす、だなんて。

 背に感じる気配を無理矢理振り切るようにしてその場を立ち去る。
 ………………立ち去りたいのに。
 どうしてか、足は逆の方へと向きたがっているようだった。

 ……本当、どこまで臆病なのか。
 この場で泣いてしまえるぐらいに、自分の感情を持て余している。
 それらを否定する事が自分を追い込んでいる事ぐらい、わかっているのに。

   ■ ■ ■ ■ ■

 雲行きが怪しくなってきた。
 こりゃ本当に雪でも降るか?
 それなら早く降ってほしい。
 そうすれば、上手くはないが少しぐらいは誤魔化しの材料になるってのに。

 辺りの気配は右往左往と忙しない。
 その中にひとつだけ、じっとこちらを伺うものがあった。
 誰か、なんて言うのも笑ってしまえるぐらいに分かり易いそれは間違いようもない。
 しかし、だ。
「何やってんだか」
 こっちはその気でいるんだ。
 出来れば早目に事を済ましたいんだが、向こうさんはそうも行かないらしい。
 相変わらず…………不器用な女だ。

 空を仰いでいた首を戻して、通りに目をやる。
 赤や緑で華やぐイルミネーションに灯りが点り始めた。
 街を行き交う人々も、幸せそうに笑いあいながら家路を、或いは待ち合わせの場所へと急いでいる。

「……さみぃ」
 呟く声が白い息となって大気に消える。
 待ちぼうけなのはいいが、この寒さはいただけない。
 寒さには強い方だと自負しているが、さすがに一ヶ所に留まっていると身に染みて来るもんだ。
 ……ったく、本当に、世話の掛かる。
 勢い付けてベンチから腰を上げる。
 ビクリと背後の気配が慄いたような気がするのは無視した。
 ジャケットを正して、人ごみが切れたのを確認して、何気なくを装って振り返った。

   □ □ □ □ □

「…………あ?」
 そんな間の抜けたような声を聞いたかどうかわからないけど。
 見つかるかもと思った途端、それまで張り付いて動かなかった足の緊張が解けて、私は走り出していた。
 こんな姿、みっともなくて見せれるはずがない。
 笑われでもしたらそれこそ惨めだ。

 人通りの少ない路地を選んで脇目も振らずに全力で駆け抜ける。

 昨夜ふと思った感情は、とても不安だったけれど何故か幸せだった。
 自分の中だけで思いのままに進む、出来すぎたシナリオ。
 けれど結局は夢物語。
 目が覚めてしまえばそれまでだ。
 自分と言う殻を破って実現される現実ではない。
 わかってる。
 わかってるけど。

 細い路地を抜けて、大通りを抜けた住宅街へ出る。
 ここまでくれば住居を構えている場所までは目と鼻の先だ。
 息苦しさを感じて走るスピードを緩めて、足を止める。
 信じられない事に呼吸があがっていた。
 たかだか100メートルの距離を走っただけなのに。
「……っ、は、はっ、はははは……」
 肩で荒い呼吸を繰り返しているうちに、勝手に笑みが零れる。
 どこまで無様なんだろう、私は。
 みっともなさ過ぎて嫌になる。
 ほんの少し夢見た代償がこれだとしたら、なんて大きな罰なんだろう。
 イエス・キリストは全てを救う救世主ではなかったのか。
 どこか筋違いの怒りに似た感情が胸の中を駆け巡る。
 幾分落ち着いた呼吸を深い深呼吸ひとつで抑えて、止めていた足を踏み出した。

 なんか馬鹿みたいだ。
 結局街の雰囲気に推されて浮かれている自分が。
 願っても届かないのは分かっているのに、情けない程それらを夢見ている自分が。
 この感情がどういうものなのか、よくわかっていないけれど。
 強い憧れなんだというのだけはわかってる。

 まばらにすれ違う人々は、どこか嬉しそうにして私の側を通り過ぎてゆく。
 住宅街から郊外へと伸びる道の角を曲がろうとして、突然強く上着の袖を引っ張られた。

   ■ ■ ■ ■ ■

「え……っ?」
 上擦った声が上がって、辛気臭そう俯いていた顔がオレへと振り向く。
 袖を引いているのが誰だかわかっていない様子だった。
「辛気くせぇ顔してんじゃねぇよ、折角のイイ日が台無しだ」
 とりあえず牽制。
 それにようやく合点がいったのか、驚いていた表情が徐々に苦いものへと変わった。
「何か私に用でも?」
 つっけんどんにそれだけを言って横を向くこいつが可笑しくて、思わず笑みを零してしまった。
「……何かおかしいですか?」
「いや、何でも」
 掴みかかって来そうな勢いを軽くあしらって、掴んでいた袖を離す。
「お前に用があって来た」
「手短に願います。急いでいるので」
「あぁ、そのつもりだ」
 さっきまで袖を掴んでいた方の手を取る。
 いつ振りかに触れた指先は、とても冷たかった。
 冬の寒さのせいでもあるけれど、何故かそれだけじゃないような気がした。
 冷たさにほんのりと赤くなっている指先を両手で覆って自分の口元に寄せる。
「……っ、えっ、ちょっと……っ」
 何か非難する声が聞こえたような気もしたが、構わず冷え切った指先に息を吹きかけた。
「どうして逃げた?」
 2、3度息を吹きかけて揉み解すように手をさすってやる。
「わ、私はあの場所にはいませんでした……っ」
「いたんじゃねーか」
「……ぅ」
 それを数回繰り返す頃には、こいつの手は本来の熱を取り戻していた。
「……あなたこそ、どうして追って来たのですか?」
 他人に暖めてもらうという行為が照れ臭いのか、ずっとそっぽを向いたままでいる。
 頬と鼻先と、ついでに目元もうっすらと赤い。

 ……あー、ったく……見るんじゃなかった。

 程良く温まった手を離そうとして、ふとポケットのアレを思い出す。
「用事があるつったろ。ほら」
 手のひら大の小さな小箱をその手に握らせる。
「まぁ、そういう日だろ。他に思いつく奴もいなかったからな」
 まじまじと渡した箱を見つめるこいつから手を離して、落ちてきそうな自身の前髪をかきあげる。

 頼む。早く。
 雨でも雪でもいいから降ってくれ。

   □ □ □ □ □

 離れた彼の手が指先の熱を奪って行く。
 手のひらの中に残った物……これは……?

 そんなの聞かなくてもわかる。
 じゃあ、どうしてこれを私に渡そうと思ったんだろう……?

 信じられない気持ちのままで、少し高い位置にある彼の顔を見る。
 空を仰いで何かブツブツと呟いていた。
 何を言っているかまではわからない。

 それよりも、この状況の方が、よくわからない。

「なーに、そんな狐につままれたような顔してんだよ」
 視線を私へと戻した彼が、うっすらと苦笑を零した。
「…………これは、どうして……?」
 違う、そう聞こうとしたんじゃなくて。
「お前は大人しく貰っとけばいいんだよ」
 苦笑がはにかむような笑みに変わる。

 ……見覚えのある、この光景。
 デ・ジャ・ヴュなんかじゃない、これは。

「………………ったくよぉ」
 堪えきれない笑みを零したように、彼がぽつりとそう洩らした。
 それから、ずっと見慣れている笑顔が顔に広がる。

 それは、ついさっきまで。
 叶わないと嘆いた、夢物語の再現だ。

 頬にふわりと冷たい感触。
 それを拭うかのように、閉じた目尻から零れる雫が、ひとつふたつ。

 その全てを包んでくれたのは。
 とても暖かな、彼の手のひらだった。

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