手のひらの温度

――――バカは風邪引かないんだがな。と言うか、何故お前はここで寝る? 自分の寝床があるだろ」
「いやいやいやいや」

 ベッドを占領している順がパタパタと手を振る。

「上だと看病してもらえないじゃん」
「そんなに元気ならいらんでしょ?」
「いるー。じゃないと死んじゃうー」
「逝け。いっそそのまま」
「それにここだと綾那の匂いがするから落ち着くの……Vv」
「今すぐそこから出ろや!」

 掛け布団を被って匂いを嗅ぐ順を引きずり出そうと手を伸ばした所で、タイミングよくピピッと小さな電子音が鳴った。
 順が体温計を取り出して確認して、小さく溜息をつく。

「……なーる。だから体だるかったのかー」
「ん? 何度?」
「37.7度」

 微妙な間の数字。
 風邪の引き始めの微熱が一番堪えるんだが…………しかし。

「……バカは風邪引かないんだがな。バカは」
「ひどー。あたし病人なんだよー?」
「じゃとっとと薬でも飲んで寝てろ。寝てれば治る。バカだから」

 常備品として置いてある薬箱から風邪薬を探す。
 どれも中途半端に箱が空けてあって中途半端に中身が使われていた。
 ……ったく、順のやつ。

「バカバカ言わなくていいじゃん。全く最近の若いもんは……」
「お前もだろ」

 発熱にも効果のある薬の箱を取り出して、備え付けの小さな冷蔵庫から水のペットボトルを取り出す。

「あたしは病人なんですー。ほら、病人がいたら何かする事あるでしょ?」
「何も無いな」
「愛情たっぷりの綾那特製卵粥作ってくれるとか、早く良くなりますようにって優しく手を握ってくれるとか、元気を分けてあげるねってそっとチューしてくれるとか。こう、献身的な介護をさー」

 確かにそれ全部お前が喜びそうな介護だなと内心で適当に相槌を打って順に振り返る。

「あ、なんだったら……直接体を温めてもらってもいいんだよ?」
「逝くか? 今すぐ」
「えっ?! ヤる気満々?! 綾那意外と大胆っ」
「地獄へ行けと言ったんだこの淫魔め!!」

 …………頭が痛くなって来た。

「……とりあえず、薬はここ。水もある。それ飲んで大人しく寝ろ」
「ブーブー! それじゃつまんないー」
「そこから追い出さないだけでも良いと思え」

 順の机に薬と水を置くと、そのまま踵を返して部屋のドアノブを握る。

「ちぇー、って、どこ行くの? まさか本当に何か作ってくれるとか……?!」
「うつされたくないから益荒男さんとこで寝る」
「増田ちゃんだよ綾那」
「……じゃあな」

 大人しく夕歩のとこと言えば良かったか……むぅ。
 ドアを開けて一歩踏み出そうとした所を、

「あ、ちょっ、ちょっと待ってってば!」

 少し焦り気味に順に呼び止められた。
 これ以上何か言われても何もする気はないんだが……。

「まだ何かあるの?」
「あー……」

 珍しく歯切れ悪く口篭って順が視線を泳がす。

「……だったら、あたしが寝付くまで居てよ」
「何で?」
「一人寝は寂しいじゃん?」

 ……そんな理由か。

「一人で寝てろ」
「こんなにお願いしてるんだからいいでしょー」

 こんなに食い下がるなんて、本当に珍しい。
 いつもならここまであしらえばそれ以上は強く出ないのに。
 ……実は熱のせいで、弱気になっている……とか?

「……ダメ?」
「……じゃあ、寝付くまでな。お前が寝たら行くからな」
「わかってますよー」

 投げやりな口調とは裏腹に、どこか嬉しそうに順が頷く。

「ほら、薬飲め」
「ん、あんがと」

 薬と水を与えると、少し順に近い位置に背を向けて腰を下ろした。

「しかし、順も風邪引くんだな」
「それは直接的にバカだと言いたいのかね綾那くん。そのネタはもういいよ」
「いや、部屋一緒になってから見た事なかったから」

 覚えている限りでは、確かそうだ。

「健康が取り得ですからー」

 今は風邪引いてるけどねー。と苦笑する順。

「……でも、小さい頃以来かも、こうやって看てくれる人がいるのって」
「ん……?」
「母さんはもう居なかったし、父さんも何だかんだで忙しい人だったし。夕歩なんて以ての外じゃない? 風邪のお見舞い来てくれるような友達もいなかったし。だから嬉しくってさー」

 照れ臭そうに小さく笑うと、決まりが悪いのか私から視線を逸らして口元まで掛け布団を引き上げた。

 ……っとに。
 どうしていつもこいつはこんな唐突に仕掛けてくるのか。
 もしかして狙って言っているのかと疑いたくなる。
 これじゃ、無下に扱う方が悪じゃないか。

「…………ん」

 順を見ないまま後ろに手を差し出す。

「……ん?」
「……手、握ってて欲しいんでしょ?」
「ぇ……?」
「……お前が寝付くまで、握っててやる」

 顔を見なくても順が戸惑っているのが手に取るようにわかった。
 …………頼むから、手を握るなら早くして欲しい。
 じゃないと私が気まずい……!

「……へへへーー」

 気の抜けた緩い笑い声が後ろから聞こえる。

「……何?」
「なんでもー」

 キュッと少し強く手を握られる。
 熱のせいか、順の手は熱かった。

「冷たい」
「……とっとと寝ろ」
「んー、何か寝るのもったいないなー。綾那が優しいし」
「寝ないなら離すぞ」
「わーってまーすよ~」

 握られていた手が一度離されて、もぞもぞと掛け布団を正す音が聞こえた。
 それからまた手を握られる。
 今度は、手のひらを合わせて指を絡ませて……俗に言う「恋人つなぎ」。
 ……こいつ、手を離さないつもりか……?

「…………綾那」
「ん?」

 ぽつりと呟くように呼ばれて、少しだけ順に振り返る。
 僅かに上目でこっちを見ていた順と目が合った。

「ありがとね」

 とても優しく聞こえた順の声が、とてもくすぐったくて顔ごと順から目を逸らした。

 ――――慣れない事はするもんじゃない。
 ……早く寝てくれ。頼むから。

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