静寂

 歯磨きを終えて部屋に戻る。
 何気なく閉めたドアの音が、妙に大きく部屋に響いた気がした。
 いつもなら何かしら声を掛けてくるのがいない。

 つまり。
 順が、ここにいない。

 夕歩の手術の関係で順は数日前から向こうに行っていた。
 年明けには戻るとかそんな事を言っていたように思うけど、ゲームに集中していて話半分にしか聞いてなかったからそれも確かじゃない。
 今までも夕歩に何かある度に順がここからいなくなる事は当たり前だった。
 別にそれに対して文句がある訳じゃない。
 向こうは向こうの、都合がある。

 ……わかってる。
 それはちゃんと、わかってるから。

 自分の机の上に投げてある眼鏡ケースを取って、電気を消して、そのままベッドに入る。
 かけていた眼鏡をケースにしまって、枕元に投げた。
 ひんやりとした布団に体温を奪われていくようで、小さく身震いする。

 ……じゃあ、どうして今になって。
 こうして一人でいる事に、物足りなさを感じてしまっているのか。

 静まった部屋には、時を刻む小さな針の音しかしない。
 どんなに耳を澄ましても、自分以外の気配をここには感じない。
 こうして横になっていても、へらへらとした笑みを浮かべて勝手に布団に潜り込んで来る奴が、いない。

――――――はぁ……」

 大きく溜息をついて、乱暴に前髪をかき上げる。
 何をこんなに感傷的になってるんだ?
 ……そもそも、何で私がそんな風に思わなきゃいけない?
 少しの間とは言え、折角うるさいのがいなくて静かに過ごせるんだ。
 むしろそれを思い切り楽しむべきじゃないのか?

 そうだ。それでいいんだ。
 私にはその権利がある。

 うんうんと一人で頷いて――――再度溜息。
 ……バカだ、私は。
 普段人をバカ呼ばわりしてるけど、今のは自分的に相当にバカ……いや、アホだな。

 本当に一人が楽しいなら、そもそもこんなこと考えないだろうが、バカ。

 自分に悪態をついてゴロンと寝返りを打つと、壁から二段ベッドの底板に目をやる。
 最近思ってたんだが、このベッド、一人で寝るには大きい気がする。
 それとも、順がいないと思っているから、そう感じるだけなんだろうか。

 ……悔しいが認めてやる。

 一人で寝るのが、少し、寂しい。
 あと、夕歩が、少し羨ましい。

 しばらく底板を眺めていた私は、ふと思いついてベッドから抜け出した。
 自分の枕も一緒に持ち出すと、それを上の段に放って自分も上に上る。
 投げた枕を手繰り寄せて順の枕と置き換えると、ひんやりとしている布団の中に潜り込んだ。
 さっきと同じ冷気に再度身震いする。
 それから、置き換えた順の枕を手繰り寄せて、ぐっと抱き締めた。

 ……こんなの順に見られたら、何を言われるかわかったもんじゃない。
 けど、仕方ない。
 あいつが今ここにいないのが悪いんだから。

 顔を埋めた枕から微かに順の使っているシャンプーの匂いがした。
 被っている布団からも、僅かに順の匂いがしないでもない。
 それだけなのに、寂しいと思う気持ちが少しだけ和らいでいるように思うのは、気のせいにしておく。

 しばらくそうしていると、遠退いて行きそうだった眠気が徐々に舞い戻って来るのを感じた。
 バカ正直な自分の感覚に苦笑する。

 あいつが帰ってきたら、とりあえず一発……いや、三発は殴ってやる。
 私にこんな思いさせた罰だ。
 それから――――

 それから、あのへらへらした笑顔で。
 ……ちゃんと、抱き締めて欲しい。

 そう思って、また苦笑してしまった。
 自分でも柄じゃないような事を思ってしまう辺り、相当参っているんだろうな。

「…………早く帰って来い、バカ」

 小さく呟く声が部屋の闇に溶ける。
 意識も眠りの淵へと引っ張られて行く。

 早く帰って来い、順。

 順がいなくなって、もう何度目かわからないこの言葉を自分の中で呟いて。

 眠りへと、堕ちた。

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