bitter sweet

 滴り落ちそうになる赤い液体を舌先で掬うと、そのまま指先を口に含んだ。
 鈍い鉄の味。
 その後から、ほんのりと甘い感覚。
 口の中にはまださっき頬張ったチョコの甘味が残っている。

 この指先の向こうから私を見る顔は驚きのまま固まっていた。
 それに僅かに笑って見せる。
 瞬間、呆けていた頬にカッと赤味が差した。

「……聖」

 ためらうように押し殺した声を無視して、ぬるぬるとする傷口を舌でなぞった。

 唾液を舌先に乗せ、力を入れて縦に一度。
 そのまま指を吸って、ほぐす様に周りを数回撫でる。

 甘い鉄の味。
 仮に、前の味覚が残っていたとしても、人の血はこんなに甘く感じるものなのだろうか。
 それを何回か繰り返しているうちに、口内に広がる鉄の味が薄れてきていた。

「……っ」

 些細な傷を押し広げ、労わるように愛撫し。
 やがて咥えている指先と口内が同じ熱を持ち始めた頃になって、私は咥えた指をゆっくりと吐き出した。

「甘いね、蓉子は」
「えっ?」

 上から降り注ぐ蛍光灯の白い光に鈍く光る人差し指をぼぅと見つめていた視線が、その隣の私の顔を見る。

「甘いんだ、すごく」

 余程深く切り込んだのか、じんわりとまた傷口が赤く染まっていた。
 差し出されたままの指先でぷっくりと赤い丸い玉になっているそれを絡め取って、僅かに開かれた蓉子の口唇に押し当てる。
 紅を引いたように指を押し当てた部分が赤く染まった。

「舐めてみなって、試しに」

 濡れた人差し指をぺろりと一舐めして見せると、蓉子が諦めたような溜息を零して自身の下唇を舌なめずりする。

「……甘くないわよ」

 バカ正直に感想を言った蓉子を笑った。

「じゃ、私にだけ甘いのか」
「もう……」

 呆れた溜息と共に言葉を吐き出すと、傷口に口唇を押し当てて滲んでいた赤を拭った。

「絆創膏、ある?」
「ん」

 机の引き出しから1枚だけあった絆創膏を差し出す。

「ありがとう」

 受け取ろうと伸ばされた手から、差し出した絆創膏を上に上げてかわした。
 何もない空を摘んだ蓉子が軽く私を睨んだ。

「からかってる?」
「まさか」
「じゃ、どうして避けるのよ」

 差し出した絆創膏をテーブルに置くと、ノートや参考書が乗っかっているそのテーブルごと脇へと押しやって空間を作った。

「まだ自覚無い?」
「何の?」

 手を伸ばせば触れる程度の距離で、改めて蓉子を見る。

 タイトスカートのサイドに入った少しのスリットから覗く白い肌。
 線の細さを強調するシャツと、開襟の襟元に覗く細い首筋。
 その上のなだらかな曲線の輪郭。
 今は固く結ばれている柔らかな口唇。
 シャープな鼻筋。
 強い光を宿した黒の瞳。

 いつ見ても完璧。
 完全すぎて、だから、触れたくなる。

「聖、何が言いたいわけ?」

 訝しげに眉を顰めて私を見る蓉子。
 その表情にさえ、妖しい艶(いろ)を感じてしまう。

 全く、どうかしてる。
 こんなにも意識しているなんて思わなかった。

「自覚が無いなら、教えてあげよう」

 誤魔化しの言葉で触れる理由をぼやかして、伸ばした指先で黒髪を撫でた。

 自覚が無かったのは私。
 自分で思っていた以上に、どうやら相当酔っていたようだった。

 髪を梳いた手で、蓉子の傷を負った指先を取ってさっきと同じように舌先で傷を舐める。

「聖、もう、いいわよ」
「よくない」

 逃げようとする彼女の肩を掴んでさらに距離を詰める。

 先に原因を作ったのは蓉子。
 こんなにも私を酔わせたのは、即効性のある甘い傷口。

「……何よ?」

 聞きたいのはこっちだ。
 いつも以上に私を煽るのは、何故なのか。
 せっかく頭に叩き込んだ数式も年表も、何もかもすっ飛んでしまったと言うのに。

 あぁ、本当に、悪酔いしすぎだ。

「蓉子が悪いんだからね」

 何かを言いかけた彼女の口唇を塞いで言葉を飲み込む。
 触れるだけのキスではなくて、相手を貪る乱暴な口づけ。
 私を押し離そうとする腕を取って、身体全体を使ってそのまま床へ押し倒す。
 もっと抵抗があるのかと思いきや意外とあっさりと私を受け入れる蓉子。
 自分の舌に残る甘い鉄の味が薄れてもまだ、相手の呼吸を奪う程に強く絡ませる。

 口唇を離すと、細い糸が未練がましく二人を繋いでいた。
 再度キスを落として繋がった糸を切ると、離れた私の口唇を追って蓉子の人差し指があてがわれた。

「あなたの言った通りね」

 私がしたのと同じように、指先でゆっくりと私の口唇をなぞって、

「甘かった」

 僅かに蓉子が笑みを零した。

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